自分でやる

人間は何でも経験したいものだと思う。
それが恐怖の対象や、危害を加えられるものでなければ。
そのようにして成長していくし、人類の進化にも繋がるから、遺伝子的に「経験」はさせられるものなのだろう。

私は現在では慎重派で、一度経験してしまったら経験していないところに戻れないというものに関してはなるべく経験しないようにしている。
いつでも経験ができるものであれば、その状態をキープしておけばいいのだ。

そんな考え方になったのは、二十歳も大分過ぎた頃で、小さな頃は何でも経験しなければならない子供だった。
自分で何でもやらなければ気が済まないといったタイプだった。
親に靴を履かせてもらう年齢でも、「自分でやる」と言って聞かなかったし、料理を作ってる母親を見て、「やってみる」と言うのだった。

これには兄の影響があると思う。
2つ上に兄がいて、兄が自分でやっているのに、何故自分はやらせてもらえないんだという想いが産まれるのはごく自然なことだろう。

兄弟がいるというのは面白い。
弟は環境によってこういう性格になるということも正しいことだと思う。

ただ、そんな可愛らしいエピソードだけだったら良かったのだが、何でもやってみなければ気が済まない私は、雨降りの帰り道で長靴に泥水を入れてジャボジャボさせなければ帰らないし、犬の糞を口の中に入れてみたいと母親に言ったこともあったらしい。
私は覚えていないのだが、母親は子供なんだから何でもやらせた方がいいだろうと思い、それを許したそうだ。

きっと、お嫁さんが出来たりして、また親戚が集まるようなことになったら、母親は私の思い出としてそれを話すのだろうなと今から考えている。

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