春が来ている気配
秋から冬にかけて、どんどん葉が枯れて落ちてゆき、今では、茎だけが残っているような観葉植物。
でも、最近新しい芽がでていることに気づきました。
生き残った茎から新しい芽がでているのです。
また、土からも新しい芽がでてきていました。
外は雪が降って、寒いですね。
また、家の中もいつも同じ温度。
でも、植物はしっかり春を感じ取っているのです。
日の光から感じとっているのでしょうね。
すごいです。
そして、そんな植物の芽が日に日に大きくなっていく姿はとてもうれしいものです。
今はほとんど茎しか残っていない植物ですが、これからどんどん新しい芽を出してきてなつには青々とした食物になっていきます。
はじめは、葉がどんどん枯れて落ちていき、冬には茎しかのこらないこの植物を、枯れたと勘違いして捨てようとしていました。
でも、茎はいつまでも緑のままなのでためしにそのまま春まで置いといてあげました。
すると、今のように芽がどんどんでてきたのです。
そして夏になるころには、すっかり前の年のように青々とした植物になったのです。
毎年、新しい葉になるためとてもきれいです。
冬はとてもさみしい植物ですが、その芽の成長は私にとって楽しみのひとつです。
今年も私の楽しみがはじまりました。
春が近づくにつれて、ひとつひとつ新しい芽がでて葉が大きくなっていくことでしょう。
春は、もうそこまで来ているのですね。
私たちには見えない変化、植物はかなり前から知っていて、春の準備を始めていました。
季節はずれの鶯
私が住んでいる地域は緑が豊かな郊外である。
田畑が多いというのがまず一つ。
地主の家が多いためか、林になっているか竹林になってそのまま放置されている土地もある。
そうすると自然とそこに多くの生き物がすむのである。
蛇だとか、虫だとか、鳥だとかそんな小さな生き物が。
一番多いのはカラスなのだが、よく鶯がやってくる。
大体3月のはじめから半ばにかけて。
梅の咲く季節である。
そのころになると時々寒さがほぐれて、急に春めく日が出てくる。
そんな時に、鶯はやってくるのだ。
はじめはまだまだへたくそな鳴き声だ。
「ホーホケキョ」なんていう、まさに鶯的な描写ができない、何の鳥だか良く分からない、鶯崩れの鳴き声なのである。
それが4月になるにつれて、少しずつ少しずつ上手くなっていく。
ああ、これが巣立つ合図なのか、と鶯の親でもないのに何か嬉しいながらも切ないような、そんな不思議な気分にさせられる。
この子たちも一人前になって、もうすぐここを離れて、遠くへ渡って行くのか。
そうしてまた春になってやってくる子は、果たして今鳴いていた子なのだろうか。
そんなしんみりした気分に浸って、4月は過ぎていく。
春から初夏へ。
そして夏へ。
入道雲がまぶしい、きらきらとした季節。
けたたましい蝉しぐれを聞きながら、季節感を出しているのは、やはりいつでも生き物達の気配なのだ。
そう思う今は8月。
みんみん言う蝉の声を割って聞こえるのは。
「ホーホケキョ」。
私は耳を疑った。
まだいたのか、と。
あの時感じたしんみりした気持ちは、今どこへやっていいかやり場がない。
そのくらい、ずっとあの鶯はいるのである。
いつまでもいつまでも、もうすっかり上手になった「ホーホケキョ」をやっている。