行動の記憶

記憶というと、知識や思い出というイメージが強いが、体験の記憶というものも当然存在する。
言い換えれば、精神的な行いだけではなく、身体的な行いに対しても脳は記憶しているのだ。

一番わかりやすい例が「自転車」だろう。
私たちの多くは、小学校に入る前に自転車に乗ることを覚える。
親に自転車が倒れないよう補助してもらって、漕いで走らせるということを覚え、何度かやっている内に一人で走れるようになる。
これは考えてやっていることではない。
特にこんな小さな頃だ。
やり方を頭で理解してからそれを行動に移すというようなことができるわけがない。
親の言う通りに身体を動かしているだけである。
よってこれはまぎれもなく身体的な行いであり、私たちが今自転車に乗れるのは身体的記憶が残っているからでろう。
パソコンのタイピングもそうだろう。
手の動きを徹底的に覚えるが、覚える時にキー配置の論理や手の動きの法則を考えて覚える人は稀だ。
練習して身体に覚え込ませ、意識されない記憶として脳に保存されるのだ。
だんだん大人になると、やり方を教えてもらう、または自分で学んでからその通りにやってみるという順序で行動するが、意外にその方がうまくいかないことも多い。
意味もわからず身体で覚えるということの大事さ、またその記憶の強さは人それぞれ体験としてわかっているだろう。
システム化、マニュアル化されたり、学問として体系が組まれたりすることは必ずしもそれを「利用」する際には正しくない。
むしろ意味や法則を意識しないで反復させることで、より強固な記憶となるし、いちいち考えなくていいから楽なのだ。
そういうことがこの時代に必要だと思っている。

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