夏休みの記憶
子供の頃、夏休みは本当に楽しかった。
疑うことなく、何かを待ちわび、心から楽しめるものは今後出てこないだろう。
出てこないというよりは、自分が変わってしまったことが大きい。
多くを知ることは失うことにも繋がる。
夏休み前には、先生から夏休みの計画表を貰い、宿題をきちんと終わらせるように毎日の日課に組み込む。
しかし、実際にその通りにできたことは一度もない。
その時から計画性はないのだな、と自分のことながらおもしろくなる。
二年間だけ住んでいた町で、町内のよく遊んでいた子達は、夏休み初日にすべての宿題を終わらせ、残りは遊ぶという子供ならではの発想と小学生とは思えない実行力が凄くて驚いたことを覚えている。
今振り返ると、夏休みのすべてが輝いていて、夏の暑さも太陽も青空も、白い雲もプールもキャンプも忘れることができない思い出だ。
きっとこれは美化されているのだろうが、そんな風に記憶として残っているのはとてもいいことだと思う。
親も子供たちが最高に楽しめるように、準備をし、お金を使い、私たちのためにやってくれた。
もし自分が子供を持っても最高に楽しい思い出を作れるようにやってあげたい。
最近になって、すごく子供がほしくなった。
やはり人間の本能なのだろうか。
遺伝子を残しておきたいという気持ちからか子供がすごく可愛い。
自分の娘や息子を大事にしたいという気持ち、またそれと同時に親に対する感謝の気持ちや申し訳ないという想いも産まれてきた。
二年か三年くらい前から顕著になってきており、今では娘を可愛がる妄想までする始末だ。
テレビで男親が自分の娘が一番可愛いと言っている意味が実感できた。
想像しただけでこれだけ可愛いのだ。
実際にいたらどうなるだろう。