フラッシュ暗算で記憶力アップ

一時テレビの番組などで、フラッシュ暗算なるものが話題になりましたね。
何秒間かのあいだに出る数字をすべて暗算で計算していくという。
あれを繰り返していくうちに、脳の記憶力が高まって訓練になるそうです。
ボケ防止にもいいと、注目されていました。

今もあるかは分かりませんが、私が小学生の頃には小学校でそろばんの授業がありました。
ところが、そろばんの仕組みが一向に理解できなかった私ははなからそろばんを無視し、出る問題問題すべて暗算で突破してきました。
だから少しは出来るかと思ってテレビに食いついて一緒にやってみましたが、あれはとても脳の回転が追いつくものではありません。
とにかく1秒かそこらの短い間でどんどん数字が流れていくのです。
それも1個や2個ではなく、10個以上なんてざらです。
ところが、そんな難しい問題を、フラッシュ暗算塾に通う小学生達がみんなすいすいとこなしていくのです。
毎日の訓練の賜物なのか、小学生の頭の柔らかさが素晴らしいのか。
どちらにせよ、ものすごい記憶力でした。
これを見たとき、本当にそろばんの授業が小学校の低学年で終わってよかったなとつくづく思いました。
もし高学年まであったら、とても自分の暗算テクニックが追いつきませんから。
それとも、暗算を繰り返すうちにフラッシュ暗算のような訓練効果が出て、暗算も出来るレベルが上がっていくものなのでしょうか…?
などと、ありもしないことをいろいろ考えましたが、高学年までそろばんがあったなら、途中でそろばんが出来るようになってますよね、きっと。

記憶が書き換えられること

あ、今記憶が改竄されたな、という瞬間がある。
「○○って知ってる?」
「聞いたことある」
というこの会話の場合、後者の発言は記憶が改竄された場合であることがままある。

改竄というと悪意を感じるかもしれないけれども、そういう手の込んだことではない。
知ったかぶり、というのとも違う。
ただ単に、意図したわけでなく、頭がとっさに記憶を変えているのだ。
例えば、「○○」という人の名前を聞いたとする。
一瞬頭の中で、「初めて聞いた」と解釈する。
だがしかし次の瞬間に、まさに同じ脳が、「やっぱり知っているかも、前にそんな名前を記憶したかも」と思い直す。
すると、またその次の一瞬後、「○○は確かに以前記憶した、すぐには引き出しから出てこないけれども」ということにしてしまう。
そして、何かその名前から連想できそうな事柄と、細い糸で結びつける。
「○○、確か△△をした人のことだったような…」というさも曖昧な記憶を持っているかのような思い込みをさせるのである。
それで結果、「○○聞いたことはある」ということになるのである。
実は知らなかったことを、無理やり知っていて思い出せない体に頭が勝手にしているのだから、「○○って結局なんだっけ?」と聞きなおしたときには、思っていた事柄とかすりもしないくらい別物だったと明かされた、いうことになるのである。
そして、そう言えば知らなかったかもな、どうして知っていると思ったのか、とそこで記憶が作られていたことに気づく。
これは私だけだろうか?
もし私だけだとしたら、私は自分の脳がすごいと感動してしまう。
脳みそまでが、自分を真実に近づけようとして、こんな作為をするほど見栄っ張りなのか、と。
最近では、記憶が改竄されたな、という瞬間を見分けられるようになった。
「知らないな」と思った次の瞬間に「やっぱり知っているかも」と思うまでの間、あ、今なんだか知らない記憶が入ってきたな、と感じるときがあるのだ。
といって見分けられるようになったといっても、すぐにそのサイクルに組み込まれてしまうので、一瞬の後には最初から知っていたかのような心持になるのであるが。
だから、まるで誰かにマインドコントロールをされているかのようである。

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