子供のなぜ?どうして?
子どもというのは、周りが何を教えなくても自らどんどん成長していく。
良し悪しの区別はつかなくても、見たもの・聞いたもの・自分の周りで起こること全てをどんどん吸収していく。
その勢いは驚くべきもので、からからに乾いた砂漠にいくら水を与えても潤わないのと同じように飽和状態というものを知らないようだ。
個々でスピードは違うだろう。
しかし子どもにはとっては毎日の些細な出来事でさえも、何かを得て成長している。
趣味が見つかる人もいるだろう。
子どもの成長の手助けをするのが大人の役割である。
決して大人が子どもよりも優秀だという訳ではない。
ただ子どもよりも「経験」と「知識」というものを多く持っていてるので、その中から人として良いこと悪いこと、生きて行く上で必要なことを教えてあげるのだ。
子どもは学ぼうとしているわけではない。
気になったことを知りたいという疑問を率直に聞いてくる。
大人とは違った観点からの疑問や質問に、「正解」を答えるのは容易なことではない。
必ずしも正しい回答は出来なくてもよい。
しかし子教わった子どもは、素直にそれを受け入れる。
なので、間違った回答や適当な回答なら何も答えないほうがよい。
子どもが持つ疑問というのは、当たり前なことなのに言葉にして説明するには難しいものが多々ある。
物事に対して余分なフィルターがない。
そのストレートすぎる疑問の着眼点や「知りたい」という探究心は、時に羨ましく感じる。
興味を持つということは、可能性や知識を得ようとしているということだ。
それを何事にも感じられるのは、純粋だからこそだそう。
その伸びようとしている心を大切にしてあげたい。
一言疑問に答えてあげるだけで、子供のなかには感動が生まれるのだ。