育つ親子
子育てとは何か。
子を育てるのか、子に育てられるのか。
私の場合は完全に後者だ。
子どものおかげで親になることができた。
そして子どものおかげで親の有難みが身にしみて分かり、本当の子どもにもなれた。
本当は子どもはそんなに好きじゃなかった。
自分のことも嫌いだった。
だから子どもが生まれてきても可愛がれないんじゃないかと不安だった。
しかし、生まれたての娘を抱いた時にそんな不安は吹き飛んだ。
こんなに愛おしく思える存在。
それは今でも変わらない。
母になってから涙もろくなった。
泣き虫なわけではない。
娘の笑顔や一生懸命な姿、頑張っている姿に涙が出てしまうのだ。
そしてどんどん成長していくその姿を見て、嬉しさと同時に取り残されてしまうような寂しさもよぎる。
周りには親馬鹿だとよく笑われる。
私にとってそれは褒め言葉だ。
それだけ可愛くて愛おしくてしょうがない。
それを口に出して何が悪いんだ。
可愛いと思ったら可愛いと言う、自然なことなのだから。
心配なのは、子どもが成長していくのと私が親になるスピードが追いつかない事。
でも親馬鹿は問題なく増している。
可笑しな話だ。
娘と私の顔は似ているらしい。
みんながみんなそっくりだと言ってくれる。
やはり似ていると言われるのは嬉しい。
自分に似ていたら可愛がれないと思っていたのが嘘みたいだ。
ただ子どもの可愛いと言ったあとに似ていると言われると、私まで可愛いと言われてるみたいで照れる。
それを話したら、親馬鹿ではなくただの馬鹿だと言われた。
その通り。
馬鹿でも親馬鹿でも構わない。
しかし馬鹿親にはなりたくない。
それは自分が馬鹿親だと思われたくないのではなくて、馬鹿親に育てられたんじゃ娘がかわいそうだから。
親馬鹿と馬鹿親の違いが分かってくれる人じゃないと意味不明な話だ。
私は躾やマナーなどの常識などにはうるさいほうかもしれない。
それでも大きくなるにつれて恥をかいて欲しくないから、口うるさく言う。
礼儀や作法というのは小さい頃から染みついていないとなかなか直すのは難しい。
もう何年間、ご飯のときにお茶碗に左手を添えなさいと言ってきたか。
きちんと挨拶やお礼をするようにお手本をみせていてもなかなか言わない。
自分ができないことを子どもには言えない。
もうこれは根気強く続けるしかない。
ママはじぶといんだ。
おかげで私も母になる前と比べたら、少しは人としてまともになったと思う。
虫を退治できるようになったのも親になってからだ。
それまでは蚊や子バエ一匹すら退治できなくて、ハエや蜘蛛なんて問題外だった。
鳥肌がたちっぱなしで騒ぎ立てて、半泣き状態だった。
虫恐怖症というのがあったら、間違いなく私はそれだ。
しかし娘の前でそんな弱いママの姿なんか見せられない。
ティッシュや殺虫剤などは通常より多めに使いはするが何とか退治できるようになった。
虫一匹に大げさだと思われるかもしれないが触らないように、見失わないようにやっつける。
母は強しというのをそんなとこで感じる。
娘は確実に成長している。
私がしっかりしていないからか、余計にしっかり者だ。
まだそんなに大人びなくてもいいのにと思うほど子どもらしくない面を持っている。
ただ無邪気なだけではない。
私からの愛情不足もあるだろう。
果たして私は成長できているのだろうか。
なんの進歩もなくただただ子どもに関心しているだけのような気もする。
子育てに間違いはあっても正解はない。
私は私なりの間違ってない子育てをしていきたい。
成長できてるかどうかは分からないが、母になったことで私は変われた。
いい意味で変われたと思う。
成長してるかなんて自分ではきっと気付かないだろうし、それよりも大切なことがたくさんある。
子どもに少しでもわたしが「愛している」ことが伝われば嬉しい。
もっと色々分かる年頃になったら、素直に娘に伝えたい。
ママの娘に生まれてくれてありがとう。
一緒にいてくれて支えてくれてありがとう。
だから、笑顔たくさんで元気に育って欲しい。